あなたは世界で初めてエイズ治療薬を発見した研究者をご存知ですか?

実は日本人、満屋裕明氏なのです。

その功績はノーベル賞受賞にも匹敵すると言われています。私が満屋氏について調べたことを甥っ子の陽介に話したいと思います。エイズの一般常識としてお読み下さい。

なお、今回の記事は主にこの本を参考にさせて頂きました。

「エイズ治療薬を発見した男 満屋裕明」 堀田佳男 文芸春秋 ¥600+税(文庫本)

(甥っ子陽介)おじさん、今日はどんな話ですか?
陽介
(私)陽介、今回は満屋裕明氏の話だよ。満屋氏を知ってるかい?
私

(陽介)満屋裕明?いいえ、聞いたこともありません。どんな人ですか?

(私)実はね、世界で初めてエイズ治療薬を発見した人なんだよ。

(陽介)ええええ~!!!!ホントですか?エイズ治療薬って、日本人が初めて発見したんですか!まったく知りませんでした。

(私)そうだろうね。私もつい最近まで知らなかった。でも、本当なんだよ。

(陽介)へぇ~!すごいじゃないですか。それって大発見ですね。

(私)そうだね。専門家の間ではノーベル賞を受賞してもおかしくないと言われているよ。

(陽介)そうでしょうね。あのエイズ治療薬の発見ならそのくらい値打ちありますよね。何せいい薬が出てくるまではエイズになるとほぼ死ぬと決まってましたもんね。

(私)そうだね。かつてはHIVに感染してエイズを発症すると2年以内に90%は死亡していた。それが今では慢性疾患に近いとさえ言われているからね。

満屋氏の発見だけで今の状況が生まれた訳じゃないけど、きっかけを作ったのは間違いなく満屋氏の功績だね。

(陽介)そうですか。でも、どうして日本人である満屋氏が世界で初めてエイズ治療薬を発見することになったんですか?そのきっかけは何だったんですか?

◇満屋氏とエイズ治療薬の研究

(私)満屋氏は1950年長崎生まれで大学は熊本大学医学部だった。卒業後も大学病院に残って内科医になると同時に免疫学の研究も行っていたんだ。

それが1982年、満屋氏が32歳の時にアメリカのNCI(国立がん研究所)に留学することになった。

⇒補足資料①

1982年と言えば、アメリカでエイズ患者が初めて報告された翌年にあたる。

そしてNCIは組織的にはNIH(国立衛生研究所)の一部だったため、1984年に満屋氏にエイズの治療薬を研究してみないかと声がかかったんだよ。それがきっかけだね。

⇒補足資料②

(陽介)なるほど。時期的にちょうどアメリカでエイズが発見され、大きな問題になった時に留学してた訳ですね。

それもNIH(国立衛生研究所)に留学してた巡り合わせだったんですね。

(私)そうだね。むろん、当時他にも日本人でNIHに留学している研究者は400人近くいたし、そもそもNIH全体では16,000人も職員がいた。

だから満屋氏にそのテーマが回ってきたのは満屋氏が非常に優秀で、評価が高かったからだよ。

(陽介)なるほど。

(私)それともう一つ、満屋氏が担当することになったのには大きな理由があったんだ。

(陽介)へぇ、それは何ですか?

(私)他の多くの研究者はエイズが怖くて研究テーマとしては避けてたんだよ。

何しろ満屋氏が研究を始めた1984年と言えば、エイズの原因がウイルスらしいとは分かってきたけど、まだ感染経路もはっきりせず、まさにエイズの研究は命がけだったんだね。

だから誰もエイズには近づきたくなかったんだよ。

(陽介)ああ、なるほど。それは誰だって怖いですよね。

(私)今でこそHIVは非常に感染力の弱いウイルスであり、日常生活の中で感染することはないと分かってる。

でも、満屋氏がエイズ研究を始めた1984年にはそんなこと誰も分かってないからね。

ただ分かっていたのは感染したら治療法もなく、やがて確実にやってくる死を待つしかないってことだった。

(陽介)う~ん、それは怖いですね。満屋氏は怖くなかったんですかね。

(私)いやいや、むろん満屋氏だって人間だもの怖いさ。しかも当時は奥さんも小さなお子さんもいた。

怖くないはずがない。だから随分迷ったし、奥さんの和子さんにも相談したらしいよ。

(陽介)そうだったんですか。

(私)当時、満屋氏と同じ研究室にはメグソンと言う女性研究員やヤーショアンと言う男性研究員がいた。

彼らは自分たちがエイズ研究をやらないだけでなく、同じ研究室で満屋氏がエイズを研究することにも反対した。

さっきも言ったようにエイズの感染経路も分かってない時代だから、同じ研究室にウイルスがあるなんて絶対許せなかったんだね。

いつ何時自分たちが感染するかも知れないという恐怖感があったんだ。

(陽介)まぁ、それも分かりますけどね。正直僕だって反対してたかも知れません。

(私)それで満屋氏は昼間はエイズ以外の研究を行い、夜になるとエイズ研究が可能な他の研究室に場所を移して研究を続けたんだよ。

NIH(国立衛生研究所)の中でもエイズの研究が可能な研究室は非常に少なくて、研究場所の確保には随分苦労されたらしい。

(陽介)う~ん、そうですか。でも、他の研究員が怖がってエイズに近寄らない中、どうして満屋氏はそこまでしてエイズの研究をやったんですか?

(私)それはね、「誰かがやらなくてはならない。ならば医者である自分がやるしかない。」そう決心したそうだ。

(陽介)すごいですね。言うのは簡単だけど、本当に自分の命を張ってやるのは誰にでも出来ることじゃないですね。

(私)言えてるね。満屋氏は医師として研究者として優秀であるだけでなく、「患者を救わなくてはいけない。」と言う使命感を強く持っていたんだね。

◇世界初!エイズ治療薬AZT

(陽介)それでどうなったんですか?

(私)うん、満屋氏はエイズ治療薬の研究を始めた翌年、1985年にAZT (アジドチミジン・azidothymidine)と言うエイズ治療薬を発見したんだよ。新薬の研究としては画期的に早い。

(陽介)AZTってどんな薬だったんですか?

(私)実はAZTは最初は抗がん剤として作られた薬だったんだ。1964年、ジェローム・ホーウィッツという科学者ががんの治療薬として作ったんだけど抗がん剤としては全く効かなかった。

それでホーウィッツはその薬をあきらめ特許も申請することなくホコリをかぶったままになっていた。

(陽介)あらあら、それは残念ですね。

(私)ところがホーウィッツがあきらめてから14年後、1978年になってウォルフラム・オスタータックと言う別の研究者がレトロウイルスの治療に効果があることを見つけたんだよ。

(陽介)レトロウイルスって何ですか?見た目が古いウイルスってことですか?

(私)いやいや、そんな意味のレトロじゃないよ。レトロウイルスとは遺伝子物質としてRNAだけを持ち、自分のコピーを作るのに逆転写と言う工程を経てDNAを合成するウイルスのことだよ。

そしてHIVも実はRNAしか持たないレトロウイルスなんだ。

(陽介)なあるほど。それじゃAZTはHIVにも効果があったんですね?

(私)そうなんだよ。しかし、数ある薬品の中からエイズ治療に効果がありそうなものを集め、実際に試して効果を確認すると言うのはすごく時間がかかるし技術を要する作業なんだね。

だからわずか開始1年で効果の確認まで行った満屋氏の努力と才能、能力は突出してたんだと思う。

(陽介)ホントですね。しかもさっきのお話しだと十分な研究場所もない中で成し遂げたんですからね。

(私)AZTは現在も使われているエイズ治療薬で、HIVが体内で増殖する工程をじゃましてコピーを作らせないようにする働きがあるんだ。

だからHIV感染症を完治させることは出来ないけど、免疫力低下を防ぎエイズの発症を抑える効果があるんだ。

(陽介)現在使われている他の抗HIV薬と同じ働きですね。

(私)そうだね。増殖のどの工程をどうやってじゃまするかは薬によって異なるけど、基本的にどの薬もHIVのコピーをじゃまする働きだね。

注*HIVは容易に変異を繰り返すウイルスであり、やがて薬に対して耐性を持ち効かなくなる問題があった。

それが1997年頃から始まったARTと呼ばれる複数の薬を併用する方法で耐性の問題が大きく改善され、劇的に死亡患者が減った。

(陽介)それからどうなったんですか?

(私)AZTは実際の患者に対して効果を試す治験を行い、そこで効果が確認されて1987年、FDA(アメリカ食品医薬品局)がAZTをエイズ治療薬として認可したんだ。

⇒補足資料③

(陽介)じゃ、それまでエイズになってただ死を待つだけの患者はAZTによって救われるようになったんですね。満屋氏の苦労が報われましたね。

(私)いや、それがそう簡単にはいかなかったんだよ。確かに満屋氏はAZTがエイズに効く薬であることを発見はしたけど、実際にそれを薬として世に出すには製薬会社と共同でやらないと実現しない。

研究室で薬を作る訳にはいかないからね。むろん、資金的にも莫大な費用がかかる。

(陽介)それはそうでしょうね。満屋氏に研究することは出来ても実用化するには製薬会社の存在が必要ですね。

(私)そうだよ、それでバローズ・ウェルカム社という製薬会社と共同でAZTの実用化を進めたんだ。

ところがこの会社が飛んでもない欲張りな会社で、満屋氏に内緒で勝手にAZTの特許をとり、独占販売にあたっては年間で1万ドル必要になるべらぼうな高額な価格設定をしたんだ。

(陽介)え~!そんなバカな!なぜそんな不正が通ったんですか?せっかく世界初のエイズ治療薬がお金持ちにしか手に入らないじゃないですか。

(私)そうだね。詳しく説明すると長くなるけど、満屋氏は医学の研究者であり、お金儲けや特許申請についてあまりこだわりがなかったし、知識もなかったんだね。

だから特許を裁判で争う時間やエネルギーがもったいない、それならエイズの研究に使いたい、そう思ったんだよ。

(陽介)そうなんですか・・・。だけど、本当にもったいないし、腹の立つ話ですね。

◇その後も次々と・・・

(私)そうだね。しかし、満屋氏が尋常じゃない能力と努力の持ち主であることはすぐに証明された。何とエイズ治療薬を次々と発見するんだよ。

1991年にddI、1992年にddC、2006年にダルナビルというエイズ治療薬を世に出した。

すごいよね!満屋氏はAZTを入れて4種類もエイズ治療薬を発見したんだ。(ddCは後に副作用の問題で使用されず。)

(陽介)本当にすごいですね。しかしそれだけ次々とエイズ治療薬が出るとバローズ・ウェルカム社の独占状態が崩れるから価格も下がったんでしょう?

(私)その通りだ。発売当初は年間で1万ドルもしたAZTは相次ぐ新薬の登場でどんどん値段は下がり、1/3以下の3千ドルまで下がった。

(陽介)でも、それまでにしっかり稼いでるんですよね。

(私)そうだね。お金さえあれば助かった多くの命が救えなかった。

それで満屋氏は自分が特許を取ったddI以降の新薬については、製薬会社に高額な価格をつけさせなかった。

ddIはブリストル・マイヤーズと言う製薬会社が製造、販売したんだけど患者一人当たり年間に1,745ドルで買えるようにしたんだ。AZTの1/5以下だね。

更にダルナビルはアフリカなど貧しい患者の多い国に対しては特許料を支払う必要がないようにしたんだ。それで多くの人に薬が行き渡るようにした。

(陽介)そうなんですか。満屋氏がエイズ治療薬に取り組んだ目的がやっと達成できましたね。

(私)しかしね、満屋氏の研究はまだ終わらない。実は現在5種類目のエイズ治療薬EFdAの治験を進めているんだよ。

このEFdAは抗HIV効果がAZTの400倍以上と言われているそうだ。

(陽介)400倍ですか!すごい!それは期待出来ますね。

(私)今まで話してきたように、満屋氏は現在治験中のEFdAを含めて5種類ものエイズ治療薬を発見してきたんだ。

(陽介)すごいですね。

(私)現在日本国内で承認されてる抗HIV薬は25種類あるけど、満屋氏がその道を切り開いたと言えるね。

そして以前は1日に大量の薬を飲む必要があったけど、それも段々減ってきたね。⇒補足資料④

(陽介)前に教えてもらいましたけど、副作用も減ってきたんでしょう?

(私)そうだね。全くゼロと言う訳ではないし、個人差もあるけど軽くなってきたのは間違いないよ。

(陽介)満屋氏は近い将来にノーベル賞とれますか?

(私)う~ん、それは分からないけど受賞してもちっとも不思議じゃないね。でも満屋氏はノーベル賞とは全く無関係に今もエイズ治療薬の研究に大忙しだよ。

(陽介)もっといい薬をどんどん発見して欲しいですね。

(私)そうだね。それじゃ、今日の話のまとめとして、満屋氏の活躍を年表にしてみたから見せよう。ついでに日本や世界の情勢も載せてみた。今回はこの年表を見ながら終わりだよ。

(陽介)はい、おじさんありがとうございました。

■満屋氏年表

年代 満屋氏関連の出来事 世界・日本の出来事
1950 長崎県佐世保市に生まれる。
1969 熊本大学医学部入学。
1981 アメリカで免疫機能が破壊される新種の病気が報告される。(後にエイズと命名)
CDC(アメリカ疾病予防管理センター)がこの奇病をAIDSと命名する。
1982 アメリカへ渡り、NCI(国立がん研究所)に留学する。
1983 フランスでリュック・モンタニエのグループがエイズ患者の血液からウイルスを分離。
1984 上司のサミュエル・ブローダーが満屋氏にエイズ研究を打診する。結果、取り組むことになる。 厚生省(当時)がエイズ研究班を発足させる。
アメリカでロバート・ギャロのグループがエイズウイルスとして新種の発見を発表した。
ギャロ博士らがHIVの抗体検査法を開発したと発表する。
1985 AZTが抗HIVに効くことを実験で確認する。 厚生省、エイズ調査検討委員会により、日本人初のエイズ患者認定。
ddA、ddC、ddG、ddI、ddT、5薬の検証を開始する。
AZTの治験第一段階始まる。
1986 AZTの治験第二段階を行う。 アメリカのエイズ患者は2年間で7倍となり2万1千人を超える。
日本でエイズパニックが起きる。
1987 FDA(アメリカ食品医薬品局)が審査会でAZTをエイズ治療薬として認める。 ウイルスの名前がHIVで統一される。
バローズ・ウェルカム社がAZTの価格を1錠1ドル88セントと発表する。
FDAがAZTをエイズ治療薬として正式に認可する。
1988 ddIの治験第一段階開始。
1989 ddIの治験第二段階開始。
1991 FDAがddIをエイズ治療薬として正式に認可する。
1992 FDAがddCをエイズ治療薬として正式に認可。
1997 国連エイズ計画(UNAIDS)が、世界のHIV感染者が3,000万人を突破したと発表。
2003 プロテアーゼ阻害剤「ダルナビル」をエイズ治療薬として発見する。
2006 FDAがダルナビルをエイズ治療薬として正式に認可する。
2015 EFdAの臨床治験開始。

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補足資料

①NCI :アメリカ国立がん研究所

②NIH :国立衛生研究所

③FDA:アメリカ食品医薬品局

④国内で承認された抗HIV薬一覧