HIV陽性者が職場で働くことにどんな課題があるのでしょうか。

私はかつて自分がHIVに感染しているのではないかと深刻に悩んだことがあります。そのとき私は、もしもHIVに感染していたら仕事は辞めなければならないと思いました。

そしてその後の生活、家族を養うことをどうすればいいのだろうと不安でいっぱいでした。

幸いにも私はHIV検査の結果、陰性でした。

ここでは、HIV陽性者が職場で働くにあたって、どんな課題があるのか、その一部を私が甥っ子の陽介に話します。ぜひあなたもいっしょに聞いてください。

(甥っ子陽介)おじさん、もしもHIVに感染してたら、普通に会社で仕事は出来ないんですか? (私)陽介、HIVに感染していたって普通に仕事は出来るよ。ただ、いくつかの課題もあるね。
陽介 私

(陽介)おじさん、ホントにHIVに感染していても普通に仕事が出来るんですか?会社から辞めてくれって言われないんですか?

(私)確かに陽介の心配するように、かつての日本ではHIV陽性者が大変な差別を受けたんだよ。会社をクビになって仕事を失うことがあったんだ。

(陽介)やっぱり!それは今ではどうなんですか?もう差別や偏見はなくなったんですか?

(私)うーん、残念だが完全になくなったとは言えないね。今でもHIV陽性者に対する偏見や差別は残っていると言わざるを得ない。

(陽介)そうなんですか・・・。

(私)ただし、現在では雇い主や会社側が一方的にHIV陽性を理由に従業員をクビには出来ないんだよ。実はHIV陽性であることを理由にクビになる人が多かった1992年、ある会社員が自分をクビにした会社を訴えて裁判を起こしたんだ。

(陽介)HIV感染を理由にクビにするのは不当解雇だと訴えたんですね。

(私)そうだよ。そして1995年、東京地裁は会社員勝訴の判決を出したんだ。訴えの通り、HIV陽性を理由に解雇するのは不当だとしたんだね。⇒『エイズ解雇訴訟判決』

この裁判は論点がいくつかあって複雑なんだけど、HIV陽性だけの理由で従業員を解雇するのは不当だと明確に判断しているんだ。

(陽介)そうなんですか。それじゃこの判決以降は会社側が一方的に従業員をクビには出来なくなったんですね。

(私)そうだよ。この東京地裁の判決を受けて、1995年(平成7年)2月20日付けで、当時の労働省(現厚生労働省)は各都道府県の労働基準局あてに   『職場におけるエイズ問題に関するガ イドラインについて』   と言う通知を出したんだ。

この通知では、

●HIVに感染していることを理由に解雇してはならない。

●他の病気の患者と  同等に扱い差別してはならない。

この2つが明記されていたんだよ。

(陽介)そうなんですか。それじゃHIVに感染してもただちに会社を辞めたりしなくていいんですね。

(私)うーん、表向きというか、建前としてはそうなんだけど、実際にはこの通知が出た後にもHIV陽性を理由に会社を辞めさせられた例は後を絶たないんだ。

(陽介)えー!そうなんですか!

(私)例えばこんな資料があるよ。

『東海地区におけるHIV陽性者の就労に関するアンケート調査結果』(PDFファイルです)

この資料によればまだまだHIV陽性者に対する差別、偏見は存在しているし、HIV陽性が理由で会社を解雇されている実態が分かるよ。

(陽介)そうなんですか・・・。

(私)例えばこんな感じだ。先ほどのデータでは、HIV陽性であることが理由で仕事を辞めたと回答した人は全体の17%いた。

更に仕事を辞めた理由を調査した結果、以下のようになっていた。

●自主的に仕事を辞めた・・・30%

●辞めざるを得なかった・・・40%

●解雇された・・・・・・・・30%

こんなふうに、今でもHIV陽性であることが働く環境においては著しく立場を弱くしているんだ。このアンケート調査はたまたまおじさんが最近見つけた資料であって、ネット上で探せば同じような資料はいくつも出てくるよ。

例えば東京都が最近作って公開している、「職場とHIV/エイズハンドブック」の中にも事例が出ているよ。

(陽介)そうなんですか。裁判になっていないだけ、ニュースになっていないだけで世の中にはまだHIV陽性者が不利な現状があるんですね。僕たちが知らないだけなんですね。

(私)そうだね。正直、おじさんだって身近な問題としてどれだけ意識しているかと問われると、決して十分とは言えない。やはりどこか他人事だと思っているところがあるよ。

(陽介)僕もですよ。でも、それじゃHIV陽性者に対する差別や偏見がなくなるように、僕にいったい何が出来るんでしょうか?

(私)そうだね。これはおじさんがいつも個人的に考えていることなんだけど、まずは自分がHIV陽性者やエイズ患者に対する偏見や差別を持たないってことだね。

(陽介)そうか!まずは個人のレベルでやれることからって訳ですね。いきなり社会全体なんて言わず、自分の意識の範囲を考えればいいんですね。

(私)おじさんはそう思うね。陽介だってこれから先、いつHIV陽性者と同じ職場で働くことになるかも分からいよ。その時に決して差別や偏見のない対応が出来るようにしておくことは大事だと思うね。

(陽介)ホントですね。でもおじさん、そのためにはどうすればいいんですか?

(私)おいおい、えらく頼りないね。それにはまずHIVやエイズに対する正しい知識と情報を身に着けることだよ。HIV感染者やエイズ患者に対する差別や偏見のほとんどは正しい知識と情報の欠如から始まっていると思うよ。

(陽介)そうですね。日常生活ではHIVは感染しないとか、今はいい薬があってHIVに感染してもエイズを防げるとか、そういったことですね。

(私)そうだよ。そうした知識や情報が欠如したままだと漠然とした不安が消えないからね。それが差別や偏見になってしまうと思うんだ。

(陽介)なるほどです。それからおじさん、一つおじさんの意見を聞きたいことがあります。

(私)ほー、いったいなんだい?

(陽介)・ちょっと前になるんですけど、病院で働いる看護師が、HIV感染を理由に病院から解雇されたってニュースでやってるのを見ました。

(私)ああ、これだね。⇒『HIV感染、無断通知の上退職勧奨』

看護師が自分の勤務する病院とは別の病院でHIV検査を受けたところ陽性であることが判明した。するとその検査した病院は看護師本人に無断で勤務先の病院へ検査結果を通知した。

その通知を受けて看護師の勤務先の病院は看護師に対して退職勧奨を行い、結局看護師は病院を辞めざるを得なかった。

(陽介)それって個人情報の守秘義務にも違反してるし、不当解雇にも当たりますよね。

(私)その通りだ。この看護師は病院を辞めた後、裁判を起こして訴えた。そして今年の4月に病因側が看護師に100万円を支払うなどの和解が成立している。

(陽介)それでね、おじさんに聞きたいのは、このケースはHIV陽性者が病院という医療機関で働いていたっていう点についてなんですよ。

(私)と、いうと?

(陽介)僕の友人の中には、HIV陽性者に対する差別とは違う理由で、やはり病院では働くべきでないと言う人がいます。

(私)差別と違う理由とは?

(陽介)院内感染防止のためです。看護師から患者にうつさないためには、辞めてもらうのも仕方ないと言う意見なんです。HIVは日常生活では感染しないのはその友人もよく知ってるんですけど、なにせ病院だから注射器を扱うことも多いし、不測の事態もあるのでは、という心配なんです。

(私)陽介はどう思う?

(陽介)それがおじさん、自分でもハッキリしないんです。友人の心配も分かるような気もするし、でもそれはやっぱりHIV陽性者に対する差別だとも思うし・・・。それでおじさんに聞いてみようと思いました。

(私)そうか。さっき、HIV感染者に対する偏見と差別をなくすためには何が必要だと言ったっけ?

(陽介)正しい知識と情報です。

(私)そうだね。まさに、陽介が今感じている問題は正しい知識と情報が不足しているために発生した問題だよ。

(陽介)どういうことですか?

(私)いいかい、陽介。院内感染のリスクを考えるのは当然だけど、それは何もHIVに限らない。例えばB型肝炎やC型肝炎のウイルスだって同じだ。それらのウイルスは、HIVよりずっと感染力が強い。

HIVは心配だから看護師には辞めてもらうけど、B型肝炎やC型肝炎なら問題ないって、これは理屈に合わないね。

(陽介)確かにその通りですね。

(私)感染症を扱う病院では必ず院内感染防止のマニュアルがあるんだよ。HIVよりずっと感染力の強いウイルスの院内感染を予防するシステムがあれば、HIVの院内感染は当然予防できる。

(陽介)それはそうですね。

(私)もしも私が患者の立場なら、HIV陽性の看護師を解雇して院内感染を防ごうとする病院よりも、HIV陽性者の看護師がいても院内感染しない体制が出来ている病院で治療を受けたいね。そっちの方がずっと安心できる。

(陽介)なるほど!おじさんの言う通りですね!

(私)第一、HIVに感染しているかどうかは検査を受けないと分からない。看護師全員がHIV検査を定期的に受けている訳でもないだろう。たまたまHIV陽性と分かった看護師だけをクビにするなんて、何の役にも立たない対処だと思うね。

(陽介)その通りですね。それにHIV陽性の看護師を差別するような病院だと、患者も差別される心配がありますね。

(私)その通りだ。ただ、国の対応にも問題があってね。

(陽介)どういうことですか?

(私)さっき陽介に説明した、1995年に労働省(当時)から出された 『職場におけるエイズ問題に関するガ イドラインについて』 には、医療機関は対象から外されていたんだよ。

(陽介)えー!そうなんですか!どんな理由ですか?

(私)うん。当時の通知にはこう書かれていた。

『本ガイドラインは、労働者が通常の勤務において業務上HIVを含む血液等に接触する危険性が高い医療機関等の職場は想定していない。 』

(陽介)なんと!これってさっき僕が話した友人の心配と同じじゃないですか。

(私)そうだね。そのために医療現場ではガイドラインが明確にならず、一部に混乱が生じたとも聞いてる。それで厚生労働省は平成22年(2010年)4月30日、前の通知内容を一部変更する通知を出したんだ。

(陽介)そうなんですか。それで医療機関におけるガイドラインが明確になったんですか?

(私)そうだよ。

「職場におけるエイズ問題に関するガイドラインについて」の一部改正について

この通知にはこう書かれてある。

『医療機関等における院内感染対策等について は、「医療機関における院内感染対策マニュアル作成のための手引き(案)」等が作成されていることから、これらを参考にして適切に対応することが望ましい。」』

 

(陽介)うーん、何だかよく分かりませんね。「医療機関における院内感染対策マニュアル作成のための手引き(案)」って、いったい何ですか?

(私)うん。それはね、厚生労働省がHIVだけでなく、様々なウイルスや細菌による院内感染を防ぐため、病院ではこんな点に注意して欲しい、という院内感染防止のためのマニュアルを提示したんだよ。

医療機関における院内感染対策マニュアル 作成のための手引き(案)

つまり、裁判で訴えられた病院のように、HIV陽性の看護師を解雇して院内感染予防をするのではなく、もっと医学データに基づく根本的な感染予防をしなさい、というマニュアルだよ。

(陽介)なるほどです。分かりました。でも、さっきの病院が看護師に退職勧奨したのは通知が改定された後ですよね。そしてその病院には院内感染防止のマニュアルもあったはずですよね。それでも看護師は病院を辞めなくてはならなかったんですよね。それ、おかしくないですか?

(私)陽介の言う通りだ。病院側の対応には問題アリだね。結局、国がどんな通知を出しても、病院がどんなマニュアルを作っても、まず人の意識が変わらないと何も変わっていかないね。

そしてそれは病院などの医療現場だけでなく、全ての職場で言えることだと思うよ。

(陽介)ホントにそうですね。僕は自分の出来る範囲で意識を変えていこうと思います。

(私)それでいいと思うよ。一人一人の意識が変わっていけば、やがてエイズに対する偏見や差別もなくなると思うね。

(陽介)早くそうなればいいですね。

(私)では今回のお話はこれでお終いだ。

管理人追記

今回はえらそうな記事を書きましたが、私も自分がHIV感染疑惑に陥るまでは正しい症状や知識を持っていませんでした。HIVに感染したらもう死ぬもんだと思っていたくらいです。

そうした知識と情報の足りないことがHIV感染者への差別、偏見を生んでいることは間違いないと思いました。私自身の反省を込めてそう思います。

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■「この症状はもしや・・・」
不安になったその時、あなたはどうするべきか?

■自宅でHIV検査体験記。
年間に6万5000個も使われている、その秘密とは?

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補足資料