日本で初めてエイズ患者が認定されたのは1985年でした。それから30年が過ぎた2015年、エイズ治療の最先端で大変なご苦労をされ、同時に大きな成果をあげられた4人の先生方が座談会を行っています。

たまたまこの座談会のことを知り、さっそく記事を取り寄せて読んでみました。

今から30年前にエイズ医療の最先端ではいったい何が起こっていたのか、そしてこの30年間どのようにしてエイズと闘ってきたのか。

そして更にこれから将来に向けて、エイズ治癒への可能性はどうなのか。

大変興味深い座談会です。私が読んだ概要を甥っ子の陽介に話したいと思います。ぜひあなたもいっしょに聞いて下さい。

特に世代の若いあなたには聞いて欲しいと思います。

なお、今回著作権に抵触しない範囲でのみ記事にしますので、もっと詳細が知りたいあなたは下記からオリジナルをご購入下さい。座談会の記事はこちらです。

『HIV感染症とAIDSの治療 6ー1 座談会AIDS初発例から30年を迎えて』

メディカルレビュー社 2015年5月  ¥2,592

(甥っ子陽介)おじさん、今日のお話しは何ですか?
陽介
(私)陽介、今日はね最近読んだ座談会の記事からの話だよ。
私

(陽介)座談会?それってどんな座談会なんですか?

(私)うん、座談会のタイトルはね、

『HIV感染症とAIDSの治療 AIDS初発例から30年を迎えて』

って言うんだ。

座談会のメンバーがこれまたすごい先生ばかりだよ。

■満屋 裕明氏
熊本大学大学院生命科学研究部 血液内科・膠原病内科・感染免疫診療部教授
アメリカ国立癌研究所レトロウイルス感染症部部長
国立研究開発法人国立国際医療研究センター理事・臨床研究センター長

■松下 修三氏
熊本大学エイズ学研究センター長・教授

■岡 真一氏
国立研究開発法人国立国際医療研究センター エイズ治療・研究開発センター長

■味澤 篤氏
公益財団法人東京都保険医療公社 豊島病院副院長

(陽介)あれ?満屋 裕明氏は確か、以前エイズ治療薬のお話で登場しましたよね?

(私)その通り。「世界で初めてエイズ治療薬を発見した満屋裕明」って話で登場したね。タイトル通り世界で初めてエイズ治療薬を発見し、その後も新薬の研究で目覚ましい活躍をされている。ノーベル賞も間違いないと言われてるよ。

(陽介)そうでしたね。それから岡 真一氏のお名前も知っています。エイズ関連の書籍を何冊も執筆されていますよね。それにネットからのメディア登場も多いです。

(私)確かにそうだね。それから味澤氏はエイズが日本に現れた直後に都立駒込病院で勤務されていた。駒込病院は1985年に日本で初めてHIV専門外来を開設した病院で大変ご苦労された。

(陽介)当時のエイズ治療ってどんな感じだったんでしょうね。

(私)そうだね。満屋氏はアメリカで研究室の同僚にHIVの研究を反対され、

「HIVを研究することはパラシュートをつけずに飛行機から飛び降りるようなものだ。」

と言われたそうだ。

(陽介)そりゃまた怖すぎる例えですね。

(私)結局、エイズの研究初期においては、ウイルスの感染力がどの程度か分からない、むろん治療法も分からない、ただ致死率が恐ろしく高いことは分かっていた。

(陽介)う~ん・・・。

(私)これも満屋氏が語っているんだけど、当時のエイズは癌より残酷な病気だと思われていたそうだ。自分の命が明日終わるかも知れない状況で、二次感染を恐れて家族など周囲の人が離れていく。これは患者本人にはこの上ない残酷な状況だったわけだ。

(陽介)今の抗HIV医療からすると考えられませんね。

(私)まさしくそうだね。

(陽介)エイズが広まり始めた当時って医療関係者も正直怖かったでしょうね。先ほどのパラシュートなしの例え話をするみたいに。

(私)そうだね。でも、その一方で、

「誰かがやらなければ」

という思いを持つ研究者も大勢いたそうだ。そうした命がけの思いが今日の治療法に結びついたんだね。

(陽介)そうなんですか。

(私)とは言え、先生方のお話では最初の頃はエイズ患者が病院に運ばれてくると、感染が怖くて病院を辞めていくスタッフもいたそうだ。何しろ感染ルート、感染力が解明されていない時代だったから仕方ない。

(陽介)辞めた人のあとを補充するのも大変だったでしょうね。

(私)そうだね。岡氏のお話ではスタッフを補充しても病院でエイズ患者の治療をしていると分かるとすぐに辞める人が後を絶たなかったそうだ。

(陽介)う~ん・・・

(私)そこで病院では最初からエイズ診療を掲げて求人をするようにしたそうだ。つまり、エイズ診療をやる覚悟のある人だけを募集したんだね。

(陽介)なるほど、それでどうなったんですか?

(私)やる気に満ちた若いスタッフが集まるようになり、病院の雰囲気も随分と良くなったそうだよ。

(陽介)そうなんですか。それはすごくいいお話ですね。確か、以前「エイズパニックとは?」というお話のとき、初期の頃はエイズ患者の治療を拒否する病院がたくさんあったそうですね。

(私)そうだよ。学校もホテルや旅館も、銭湯もスーパーも、HIV感染の疑いがあれば拒否したんだ。それも全く的外れな根拠のない疑いで拒否した。日本中がパニックだったな。

(陽介)おじさんはリアルタイムで体験したんですよね?

(私)そうだよ。連日テレビや新聞、週刊誌で大騒ぎだった。今から思えばあれはいったい何だったんだろうね。情報が足りない、正しい知識がないってことは怖いね。それが偏見や差別を生むからね。

(陽介)本当ですね。今では考えられませんね。それもいい抗HIV薬が出来たおかげですね。

(私)そうだね。その抗HIV薬を開発する過程の話も色々と座談会で語られてたよ。

(陽介)例えばどんなお話ですか?

(私)そうだな。例えば・・・臨床試験の話かな。

(陽介)臨床試験って、新薬の試験のことですか?

(私)そうだよ。抗HIVの臨床試験は従来の試験方法から一変したそうだ。

(陽介)へぇ。そうなんですか。

(私)従来の臨床試験は安全性と責任を理由に成人男性から初めて、安全性が確認できれば次に成人女性、そして最後が子供だった。

(陽介)なるほど。

(私)しかし、抗HIV薬の臨床試験では最初から女性も子供も入れたんだよ。これは臨床試験の歴史の中で画期的だったらしい。エイズを発症して明日死ぬかも知れない女性や子供の患者が大勢薬を待ってた。

(陽介)そうなんですか。臨床試験は時間との闘いでもあったわけですね。

(私)まさにそうだね。

(陽介)それでおじさん、エイズが出てきてもう30年ですけど、近い将来にHIVを完全駆除できる日が来るんでしょうか?

(私)その話は座談会の最後に出てくる。現在の抗HIV医療では、HIV感染者の体内から検出限界までウイルスを減らすことは出来る。でも、わずかに残ったHIVは細胞内に潜伏している。

(陽介)そして抗HIV薬を止めれば再び増殖してエイズを発症するんですよね。

(私)そうだ。だからどのくらいHIVの潜伏細胞が存在するのか、そしてどうやってそれを根絶するのか、今はまだ課題のままだ。座談会の中でも今後の研究に期待したいと結ばれている。

(陽介)そうですか。ごく近い将来に解決という訳にはいかないんですね。

(私)そうだね。でも、30年前を思い出せば現状は全く考えられもしないほど抗HIV医療は進んだ。これからの10年、20年でまた今は予想もできないような治療法が開発されるかも知れない。

(陽介)そこに大きく期待ですね。

(私)そうだね。エイズ登場から30年目の節目に企画された座談会はエイズ治療の第一線で苦労しながら活躍された研究者のお話で大変興味深かったよ。

(陽介)もっと詳しく座談会のお話が知りたいです。

(私)それは陽介が自分で座談会を記録した雑誌が出てるから購入して読んでごらん。

(陽介)分かりました。

(私)では今日はこれで終わりにしよう。

(陽介)はい、おじさんありがとうございました。

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